知識を解放する
2008-06-03 07:00
たとえばあなたは、自分が持っているノウハウ、主に自分の仕事に関することになるとは思うが、そういった長年培ってきた財産を公に表することはできるだろうか。もちろん内容にもよるが、多くの場合、企業秘密などという大層な箱に入れ、ひた隠しているのではないか。もしくは公表するほどのものでもないと考えているか。
WEBサイトの中で持論を展開することや、持っている知識をやみくもに解放することは、尺度を変えるとただの自己満足に過ぎず、読み手からするとひどく退屈な内容なのかもしれない。その意味で、場合によらずともこのブログは多くの人に退屈さを演出しているに違いないが、ある一方ではそれを必要としている需要が僕には見える。
随分前から僕は「知識の解放」をテーマに様々なWEBサイトの展開を研磨しているつもりだが、それというのはWEB制作サイド、いわゆる新しい波から生まれる考え方なのかもしれない。もちろん「知識を解放する」ことが必ずしも良い結果を得られるという保証などどこにもないが、それは冒頭の印象から、いわゆるインターネットやデジタル文化に明るくない保守層にはなかなか受け入れられない作業だと認識する。
よく知られるように、インターネットは双方向性の情報をやりとり出来る媒体だ。ただ与えられるだけでない、与え与えられることの出来るメディアだ。多くの人によって語られてきたように「情報の共有」を最速に具現化できるメディアだ。
「共有する」ことを根底にWEBサイト展開を考えると、もしかしたら僕の不可解な言葉綴りも少しはましに見えてくるのかもしれない。
制作と運営は違う
2008-06-02 07:00
「ホームページをつくるだけでは意味がない」という事実は本当に浸透しているのだろうか。
もちろんWEB制作の話だ。
この言葉だけなら「そんなの当たり前だよ。」と返す人がほとんだとは思う。商品を販売するサイトだとしたら、ホームページをつくるだけで売上が期待できるのかと言えばそうではないことは明白だ。また、これまでのこのブログのように「ただ毎日更新する」ことでアクセス数が伸びるというのもまた誤った解釈のはずだ。ホームページという土台があり、読者にとって価値のある内容を更新していくことで、ようやくアクセスを見込むことができ、結果として売上につながるというのがホームページ運営の基本構造に違いない。つまるところ「いかに制作するか」ということより「いかに運営するか」ということを明るくしない限り、少なくともホームページで販売したり、事業を興すことは難しいのではないか。おそらく、ここまでの内容はほとんどの方の理解に届いていると思う。しかしながら制作会社に制作費を払うだけ払って、実際にはホームページを運営できずにいるサイトが実に多くみられるのは何故なんだろう。
「ホームページをつくるだけでは意味がない」という事実は本当に浸透しているのだろうか。
パソコン音痴を演じる人たち
2008-05-28 07:00
「パソコンやインターネットに、それほど依存したくない。」
多くの人がそんな観念に縛られているように感じる。
まあ、それは分かる。
その発想は僕にだってある。
インターネットやパソコンがないと生きていけない人生なんてまっぴらだ。
いや、しかし、その観念は場合によっては矛盾が生じる。
僕の場合、携帯電話がそうだった。
携帯電話など本当は持ちたくないが、持たなければならない社会に属しているものだから、仕方なく所持する。所持する以上は、個人の希望とは裏腹に、操作方法のひとつも覚えなくちゃならない。
確実にそれを必要としている環境に属しているのに、それを認められないのは、なんだかずるい。
WEB制作者です。
2008-05-27 07:00
お仕事は何ですか、と尋ねられた時。
たとえば、「映画制作者です。」だったら、監督なのか、カメラマンなのか、いったい何をやってるのかが気になるところだ。
これが「WEB制作者です。」だったらどうなのか。
WEB制作の作業をいくつイメージできるだろうか。映画制作者に対して、WEB制作者への意識は確立されていない。つまりその中身を知る人は少ないということだが、歴史が浅いんだから、まぁ仕方がない。
しかしながらWEB制作に求められる作業の多様さは尋常じゃない。
プランナー、デザイナー、プログラマー、フォトグラファー、コピーライター、イラストレーター、映像編集、情報編集、マーケティングもろもろ。まぁ、きりがない。それなりに大きなWEB制作会社ならばそれぞれに専属がいるに違いないが、想像するにそういった連中は一握りだ。
「で、WEB制作で何なの?」
そんなこと聞かれても困る。
句読点
2008-05-26 07:00
5年くらい前だろうか、ブログという文化がまだ普及していなかった頃、仕事で文章をおこす機会があった。そこで、せこせこと書き上げた文章に対して、以前の上司にこう指摘されたのを思い出す。
「お前の文章は句読点が少なくて読みにくいよ。」
たぶん。
句読点は、文章を読みやすくしたり、リズムをつくったり、それ自体に意味をつけたりするためにあるんだろうと思うけど、逆に僕はそれ以外の使い方をいまだに知らないでいる。
やっぱり今でも僕の文章は句読点が少ないんでしょうかね。
ところで昨日は、WordPressの予約機能が作動しなかったみたい。
だったら書くんじゃない。
2008-05-20 07:00
いや、頭が痺れてというか、指先が硬直してというか、ほら、タンスの角に足の小指をぶつけた感触に似たというか、ま、理由なんてどうでもいいに違いないわけで、とにかく今日のエントリーを適当にやり過ごしたいわけなのよ。
で、想像するには、読み手にとって不幸なのは、こういった類のエントリーに遭遇してしまった時で、僕だったら「だったら書くんじゃないよ。」と声高にしたいところで、書き手の自己都合で完結するエントリーに価値を見いだす人は少ないに違いない。
そう決めた。
2008-05-14 07:00
エントリーを進めようとはしたものの、またしても長文になってしまったので、一晩寝かすことに決めた。
決めた、というと潔がよいように聞こえるが、単にエントリーを放棄しているだけに過ぎない。だが、そう断言してよかったと心から思う。
これが「一晩寝かすことに決めたいんだけど、どう思う?」だとあまりに面倒だし、「一晩寝ずに看病したい」だとよく分からないことになってくるに違いないわけで、「一晩で覚えるテーブルマジック」っていうのはあまりよい連想じゃないのもよく知っている。
あぁ、断言していなかったと思うとぞっとする。
なぜなら僕はもう眠いのだ。
「一晩」をキーワードに連想ゲームをやってる場合じゃないんだ。
